盛岡だより」(2025.1 

 

       野中 康行 

  (日本エッセイスト・クラブ会員・日産火災出身)


                                 

                                       栞(しおり)


 

  

 「栞」は、本のページに挟んでどこまで読んだかの目印にするものである。

長方形の紙片の上部に紐が通してあるタイプが一般的で、かつては本を買うと書店が本に挿んでくれたものだった。今は、本の背に紐付けして製本されている。これを「栞紐(しおりひも)」とか「スピン」と呼ぶ。これがついているのはハードカバーの本だけで、ソフトカバーにも文庫本にもない。この栞にはさまざまなタイプがあり高級文具店で売っているらしいが、専門の収集家もいると聞く。

 

これがないと不便である。どこまで読んだのか分からなくなり当たりをつけて開くが、少し読んで気がつきその先を探したり、どうも話が続かないと戻ったりする。ページを折り込む人もいるが、折り目がつくから私はしない。

私には、重宝している「自分の栞」がある。だいぶ少なくなったが、まだ50枚ぐらいは残っている。2006(平成17)年1月に1冊目の本を出した。随筆集『記憶のひきだし』というハードカバーの本だが、仕上がって手元に届いたときに、栞紐がついていないのに気がついた。私は当然ついてくるだろうと思っていたし、出版社もそう思っていたようだ。どうも、製本会社への指示を忘れたようだ。

 

 「栞を、つくりましょう」と、出版社の担当者が言った。

手作りの本らしくてよいかもしれない。表に本の題名と表紙のイラストを入れ、裏面に本のキャッチコピーを印刷。遊び心に、私の名を入れて「野中書店」と印刷した。こうして、「私の栞」ができたのである。「これが、そちらで使う分です」と、300枚ぐらいわたされたが、贈呈するときに挟んで送ったり、栞だけをプレゼントしたりしてだいぶ減った。

「栞」の語源は、山道などを歩く際に迷わないように木の枝を折って「道しるべ」としたことから「枝折」と書き、本をどこまで読んだかという目印にするものを指すようになった。初心者のための手引き書なども、そう呼ぶ。残っている「私の栞」は、自分の歩んできた過去の小道の「道しるべ」のようでもあり、初めて出した本の小さな記念碑のようなものになっている。

 

私たちは歴史を学ぶとき、よく西暦年を覚えさせられた。それを語呂合わせで覚えたものだ。イエスキリストが生まれた翌年の西暦元年から2024年まで。日本史なら645年の大化の改新、1603 年江戸幕府、1868年は明治維新、1945 年は広島・長崎原爆投下と日本敗戦、2011年3 月11日は東日本大震災……と覚える大事なキーが西暦年であった。自分の歴史を和暦で記憶されているとしても、それらが「栞」のようなものである。

歴史のあちこちに挟まれている栞。2024年には「米大統領トランプ氏再選」「自民選挙で大敗・少数与党に」という「栞」が挟まれたが、2025 にはどんな歴史が刻まれ、何が「栞」になるだろうか。