前田 功 昭和サラリーマンの追憶
「大人のいじめ」と闘った同志だから
まえだ いさお 元損保社員 娘のいじめ自殺解明の過程で学校・行政の隠蔽体質を告発・提訴 著書に「学校の壁」 元市民オンブズ町田・代表
先月号で、学校・教育行政との闘いの概要について述べ、闘いの詳細を今後、何回かにわたって書いていきたいと述べた。しかし事件に関する事実の詳細は膨大。それをすべてこのサイトに記載することは、かなり困難だ。
詳細は「学校の壁」を読んでもらえばいいのだが、出版してからもう四半世紀。絶版になっており、入手困難かもしれない。(アマゾンでは売っているようだが・・・)
待てよ、と思って、ウィキペディアを調べてみた。載っていた。かなり詳細にだ。表題は「町田市立つくし野中学校いじめ自殺事件」。自分のやってきたことがこれ程詳細にウィキペディアに載っていることに気づかなかった。
それで、事件の詳細は、ウィキペディアを読んでいただくことにして、そこには載っていない私の想いを、この欄で書くことにしたい。
「大人のいじめ事件」だということ
私は、子どものいじめ自殺そのものについて云々したのではない。闘いの過程で、子ども間のいじめについて考え、意見を述べることも多々あったが、いじめた子や親を非難したり、訴えたりしたわけではない。
当時、子どものいじめ事件があると、「ご見解を」と連絡してくる記者が何人かいた。
確かに、晶子がどの様に悩み苦しんだか、知りたいと思い、もがいた。その過程で、子どもの心理に関する論考を読んだり、研究者の話を聞いたりもしてきた。しかし、私自身が子ども時代にいじめを受けた経験があるわけでもなく、子どもたちの間のいじめ問題の研究者でも専門家でもない。
私自身が体験したのは、大人のいじめ。それも学校や行政といった組織による大人のいじめである。組織による大人のいじめは、世の中にたくさんあるのに、それは記事になることは少なく、あったとしても私に見解を求めてくる記者はいなかった。
わが子が自殺した。教員たちは、その真相を知っている。教えてくれとお願いしたが、ごまかされた。本当のことを知ろうとすると、いろいろな妨害・迫害を受けた。教員たちが組織を挙げて襲い掛かってきたように感じた。ただ知りたかっただけなのに・・・。
赤木雅子さんのケースと似ていると思う。雅子さんは夫に何があったのか、知りたいと声を上げ、官邸や財務省からいじめられた。私は娘に何があったのか知りたいと声を上げたが故に、教員や教育行政からいじめられた。どちらも、愛する者が自殺した。その背景に何があったのか知りたいと声を上げたことによって、いじめられた大人のいじめ事件である。
フィーリングがあった「なかま」
「学校の壁」を出したとき、「損保のなかま」の編集委員会から、「これを紙面で取り上げたい」という連絡を受けた。それまでは読者でもなかった。当時東京駅近くにあった「なかま」の事務所で、編集委員の数人と話し合った。その際、この人たちとフィーリングが合うなと感じた。
何故そう感じたか。この人たちも、会社という組織、そして多数派組合という組織から「いじめ」られ、それと闘った経験があるからではないだろうか。
職場の大多数の人たちが、実質的に会社側が作った第2組合(最近あまり耳にしなくなったが「御用組合」と言えばわかりやすい。)に移った。そこに移らず、従来の組合に残り、正論を吐いたことによって、解雇だと言われたり、昇給・昇進などで不当な扱いをされ、それと闘ってきた。非正規社員で、不当な扱いに声を上げ、個人加盟労組を立ち上げ、闘った人もいる。
編集委員の全員がそうであるわけではないだろうし、ご本人たちもそうは思っていないのかもしれないが、少数派というだけで、社内でいろいろないじめを受けたのだと思う。
私が、「フィーリングがあう」と感じたのは、闘った相手は違うが、いじめと闘った経験を共有している「同志」だからだ、と思う。
その後、編集委員として関わり、居心地がいいな、フィーリングが合うな、と感じつつ、四半世紀が過ぎた。
「損保のなかま」に関わったこと、これこそ大きな「追憶」である。