「女性の過労死」
竹信 三恵子
たけのぶ みえこ 朝日新聞社学芸部次長、編集委員兼論説委員などを経て和光大学名誉教授、ジャーナリスト。著書に「ルポ雇用劣化不況」(岩波新書 日本労働ペンクラブ賞)など多数。2009年貧困ジャーナリズム大賞受賞。
(2) 「定型的」ってなんだ
今年9月、「住み込み家政婦者過労死訴訟」の東京高裁判決は、初めて「家事労働者の過労死」を認めた。逆転全面勝利だった。
家事労働については、2013年に『家事労働ハラスメント~生きづらさの根にあるもの』(岩波新書)という本を出版し、強いこだわりを持ってきた。
軽い仕事、楽しい仕事、愛の仕事、趣味の仕事。家事はいつも、こんな風に、お気楽に描かれる。だが、長時間労働の会社の仕事と家庭の家事・育児をワンオペで引き受ける体験をし、家事とは、世評とは相当に違う労働だと感じてきた。
それを生業として行っていた女性の過労死が認められた。家事の現実がやっと公式に認定された、とそのとき思った。
一審の東京地裁判決は、家事労働による過労死を全否定したような内容だった。その判決文の中の次のような文言が、長く引っかかっていた。
「本件介護業務は訪問介護計画書に基づいて行われる業務であって一定程度定型的な業務が主体」であり、「過重な精神的負荷であったとまでは認めがたいものと言わざるを得ない」
訪問介護計画書に基づいていたとしても、介護業務が「定型的」である証拠とはならない。対人業務は利用者の状況に合わせて臨機応変に行わなければならず、相手の表情を読み取ったり、自らの感情を押し殺して機嫌よく振舞ったり、さまざまな「感情労働」なしではできないからだ。
だが、女性の労働は、「定型的で判断は必要ない仕事」という思い込みがついて回ることが多い。それが女性労働者の負担の軽視につながり、「そんなもので死ぬわけない」となる。
「定型的」ってなんだ。なぜ女性の仕事は「定型的」とみなされるのか。次回はそこに分け入りたい。